さらに資料を見つける。

この前の「動物たちと五十年」の続きになります。資料(全集日本動物誌29)の返却期限が来る前にもう一度目を通しておこうと思い、最初からめくっていたら、『月報』が表紙裏に綴じこんであったのに気づきました。

これが掘り出しもので、高橋峯吉氏の四男である高橋義博氏による「父の思い出」という文でした。(高橋氏の肖像写真、初めて見たかも。手持ちの「動物たちと五十年」の表紙ではほとんどお顔が写っていなかったし、以前国会図書館で遠隔複写してもらった学習雑誌の記事も大変申しわけないけど画質が荒くてよくわからなかったです)なお、義博氏も長じて上野動物園で「動物園ボランティア」の活動を立ち上げています。

1つだけ(多分そうではないかと思いますが)「動物たちと五十年」の中でわからないことがあります。あの「戦時猛獣処分」の時期に「園長さん」と記述されていたのは古賀忠道氏ではなく福田三郎氏(当時の園長代理)だったのではないかと。(ヒョウのハチの記事を執筆しているとき、やっぱそうだよな、と思いました。これ、改稿のときにもう少し調べてみます)

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