高輪芳子嬢について、国会図書館から取り寄せた資料を読んでいます。水守三郎氏(当時ムーランルージュ新宿座で文芸部員を務めていた)によるもので、「人物往来」という雑誌の昭和31年3月号に掲載されていました。
水守氏によると、彼女の面差しはフランスの女優、コリンヌ・リュシエール(この方も実に不幸な方でした)にもう少し色気を加えたような美しさで、松竹時代にはとりわけ男性に人気があって楽屋口で「出待ち」するファンも多かったそうです。
水守氏の文によると、芳子嬢が松竹を辞めたのは中村進治郎さんとの恋愛沙汰が上層部の耳に入り、辞めざるを得なくなったということです。別の説では、その上層部が彼女に思し召しがあって口説いたものの上手くいかず、進治郎さんとのうわさを聞いて腹立ちまぎれに彼女を解雇したといいます。
今まで集めた資料とはかなり趣きが違いますが、水守氏は2人の情死について進治郎さんが芳子嬢の熱情に引きずられて死の道連れになったことを指摘しています。
そして…水守氏はあの情死で死ねなかった進治郎さんが新宿の街を彷徨っているのを何度も見かけました。かつてのりゅうとしたモダンボーイの面影はなく、薄汚れた紺絣の着流し姿だったそうです…。
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