ウィキペディアタウン in 立川(2019.12.1 立川市砂川学習館→上砂会館)

DSC_1340.JPG集合場所への途上で目を惹いた可愛い建物。「六番組公会堂」です。




[ここに地図が表示されます]





12月1日に、ウィキペディアタウン in 立川に参加しました。

当日は朝から良い天気です。雨の心配はなかったので、最寄り駅から私鉄→JRと乗り継いで立川駅まで出ました。立川からはバスも出ていましたが、今回は(久々に乗りたかったので)多摩モノレールを利用して「砂川七番」駅で下車です。

市の中心部からちょっと離れているためか、街並みはせせこましさが少なくて空が広いです。集合場所の砂川学習館は、砂川七番駅を起点として五日市街道沿いに2キロほど歩いたところにあります。

散歩には好適な日和だったので、風景を楽しみつつぽてぽてと歩きました。道は平坦で歩きやすく、家並みの合間にこの地域特産の「東京うど」の看板を複数見かけました。道のりを半分ほど過ぎたあたりで、ライブラリアンのT氏と偶然出会い、連れ立っての会場入りとなりました。

砂川学習館


集合場所の砂川学習館は、旧砂川町役場でした。講師はA氏、約16名が参加で「たちかわまちの案内人」さん4名がサポートに入ります。

観光ボランティア たちかわまちの案内人 


ここで当日のスケジュールを。

9時45分:受付開始
10時:オープニング スケジュールと趣旨の説明
10時30分:砂川地区のまち歩き
12時:上砂会館到着、昼休み
13時:説明と編集
15時30分:編集の振り返り
16時:終了


スケジュールの紹介とガイダンスなどに続き、まち歩きです。砂川学習館を起点として、午後の会場となる上砂会館までを歩くことになります。約20名が次の会場となる上砂会館を目指して一緒に歩きました。



DSC_1346.JPG蚕影神社のぬこ様像です。



最初の目的地は、砂川学習館からほど近い阿豆佐味天神社です。境内に入ると、遅めの七五三とおぼしき家族連れが数組。手入れの行き届いた境内には、いくつかお社があります。その中の「蚕影神社」は山下洋輔氏のエッセイによって「猫返し神社」として有名になりました。お社の前のぬこ様や絵馬ならぬ「絵猫」もとい「えにゃ」(R氏のコメントより)などが。(水場にいたのは猫ではなく「犬張子」だったようです)ほのぼのとした空気が流れるよいお社でした、ここはかつての「砂川闘争」の拠点の1つだったという重い歴史も。


DSC_1347.JPG噂?の「えにゃ」です。



次の庚申塔とマイマイズ井戸跡地は、道端にあったのでちょっと立ち寄ったのみです。マイマイズ井戸の場所は、今では不明とのことで案内された場所も「多分このあたり」ということです。

そして今回個人的に一番大変だったのが、金毘羅山(秋葉神社境内)です。人工的に築かれた山で、どこから原材料?の土を運んできたかはよくわかっていないそうです。2004年に見つかった古記録から、この山の正体が「富士塚」だったことが判明しました。(富士塚…以前執筆した下北沢の森厳寺、TDUのウィキペディアタウンで取り組んだ千住神社に続いて3度目の出会いです)その昔は15-16メートル、現在は9メートル程度の標高ですが、平らなところに築かれたためかもっと高く感じました。膝に問題のある身を押して登頂(ぇ)に挑戦しましたが、中腹で断念…残念無念です。それでも晩秋の装いに彩られた木立などに癒されました。

秋葉神社の手前あたりから、人家がややまばらになってきました。次の目的地は日本画家、邨田丹陵の旧居です。武蔵野の木立の中にひっそりと残る家で、一見しただけでは建物を見過ごしてしまうかもしれません。邨田氏は優れた画家で、あの「大政奉還図」はよく知られています。


DSC_1354.JPG秋色の濃い上水付近。



玉川上水沿いに出ると、水量は多いものの「濁り湯」のような妙な色です(台風の影響が残っていたそうです)。ここで「巴河岸」という船着き場の址(石組みが現存)を見ました。明治期のごく短期間、玉川上水を利用した水運があったそうです。(全くの初耳、まあ、砂川分水を利用した水力発電所の計画があったくらいだから、往時はもっと水量があったのかもしれません)

上水をさらにさかのぼって、次に見たのは源五右衛門分水口です。明治後期にこの地の有力者、砂川家の願いによって開かれた個人分水で、名前は開削当時の当主に由来するそうです。

見影橋公園を横に見て五日市街道方面を目指して歩くと、再び住宅地に戻ります。この付近で砂川分水についての説明を聞きました。開渠になっている部分はごく少なく、しかもほぼ涸れ川の状態です。かつては水車が回り、豊かな流れが砂川の地に恵みをもたらしていました。

まち歩きの最後は、流泉寺です。詳名は「天竜山流泉寺」といって、臨済宗建長寺派に属する寺院です。砂川を開拓した人々の菩提寺として開かれ、今でも人々に親しまれています。このお寺の境内にて明治5年、郷学校「西砂川小学校」が開かれた所以で「砂川の教育 ここに始まる」という堂々たる石碑が存在しています。


流泉寺|立川市砂川町にある臨済宗建長寺派寺院 ←特筆性は在りそうなのに記事未作成。「猫の足あと」様による説明です。


まち歩きのタスクはこれで終了、最後は上砂会館を目指します。

上砂会館 | 立川市


そのときは気がつかなかったのですが、この付近にも「大山道」が…。(K氏のご指摘によって判明しました)地図アプリで調べたら、近くの小学校や団地にも「大山」の名が残っています。

午後はいよいよ記事執筆と編集作業です。今回のイベントでは、ウィキペディアクラスタとしては私を含めて4名参加しています。(午後からはR氏も加わりました)

今回の執筆対象は、砂川分水と阿豆佐味天神社(要曖昧さ回避)です。参加者は2組に分かれますが、今回は講師の意向によってテーブルファシリテーター未経験の方をその任に、ということで、私も執筆組に入りました。

ブックシェルフには、ライブラリアンの皆様の尽力によってよい郷土資料が揃っていました。私は砂川分水の方を希望して、関係する本に目を通しました(今回も敢えて予備知識皆無の状態で当日を迎えていました)。最初は分水の歴史に関係しそうなところをざっくり読み、メモ帳を使って原文を作って記事の枠組みに落とし込みました。次は別の資料を読んで「水力発電計画」を見つけて追加しました。

毎回のことですが、時間が押しました。それでもひととおり2記事が完成です。

今回の成果

砂川分水

編集履歴

阿豆佐味天神社 (立川市砂川町) ←同市内に同名の神社があるため、この記事名です。

編集履歴

このようにして、立川市初開催のウィキペディアタウンは終了しました。参加できたことに感謝して、拙いながらもレポートを終わります。


DSC_1348.JPG蚕影神社の水場にいた子。てっきりぬこ様かと思ってましたが(^^;)

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