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4月1日、第16回となるウィキペディア街道に参加しました。
当日は朝から好天でした。少し早めに自宅を出たので、以前ウィキペディア街道で記事を書いた勝光院とこの前記事を書いた桜木遺跡(といっても範囲はかなり広いので一口にどことは言いにくいかも)あたりを歩いてみました。改めて桜木遺跡の広大さを身をもって確認できました。
集合時間は10時、場所は環状7号線に近い世田谷線若林駅です。参加は5名(うち初参加1名)です。今回は世田谷に伝わる「名残常盤記」という伝承文学のヒロイン、常盤姫に関わる場所を回りました。
朝から天気が良くてウォーキング日和です。今回の行程は、環七や世田谷通りに近い住宅地の中を歩きました。まずは旧馬引沢村の鎮守、駒留八幡神社へ。
ここは「せたがや百景」に選ばれている神社で、境内には「せたがや名木百選」に選ばれているクロマツの大木があります。
世田谷散策記 ~せたがや百景~No.19 上馬の駒留八幡神社 (世田谷散策記様は私の大好きなサイトです)
クロマツは一見したところ樹勢に問題はなさそうで、近くに「御大典記念」という石標がありました。よく見ると「大正4年」の文字が。検索すると「1915年」なので樹齢103年ということでしょうか。(これからも健やかに…)
駒留八幡神社にはいくつか境内社が存在していて、その中の「厳島神社」に常盤姫が弁才天として祀られています。かつてはもう少し手前にあった池の中島に社が存在したようですが、今の位置に移されています。そして池の水は干上がっているのがちょっと切ないです。境内で気になったのは、戦没者慰霊殿のわきにあった謎の小山…古墳があるという話は聞いていません。しかも、私のスマホでこの付近を撮ったら「何も写っていない」写真が複数…(怖いの苦手;;)。
次は常盤姫を埋葬したと伝わる「常盤塚」。住宅街の路地から少し入ったところにあります。「常盤塚」と刻まれた石碑が散りかけの桜花の中に静かに存在しています。常盤姫と他の側室たちの塚はこの付近に点在していたようですが、今に残るのはここだけ。(ただし、常盤姫の実在は疑わしいようです)
世田谷散策記 ~せたがや百景~No.20 さぎ草ゆかりの常盤塚
お昼は世田谷通り沿いのサイゼリヤ。今回で3回目です。時間が時間なので混んでいましたが、無事に座れてちゃんとお昼も食べました。
その後は世田谷区立郷土資料館(一昨年のウィキペディア街道で執筆対象となった世田谷代官屋敷の隣です)で文献を探しました。いくつか収穫がありましたが、私がその他に見つけてしまったのは、世田谷区の区立図書館には所蔵されていない『新編武蔵国風土記稿 荏原郡』…( 一一) 郷土資料館はコピー可だけど貸出不可なので…うーむ(*_*)
執筆会場は、昨年も来た弦巻の区民センターです。(郷土資料館から少し歩きます)
世田谷区 弦巻区民センター 第3会議室
今回も歴史、文化財、境内等を分担して執筆しました。
駒留八幡神社
更新履歴
今回もウィキデータまで入力を済ませ、画像・出典の完備した記事となりました。
打ち上げは世田谷通り沿いのその名も「世田谷ホルモン」。執筆後のビールが美味い!(^^)!
次はおそらく6月開催、場所は引き続き世田谷近辺になりそうです。皆様、お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。またお会いしましょう。
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