ウィキペディア・エディタソン「甲州事編 百科涼覧」 (2017.7.23)後編「風林火山?」

FB_IMG_1500767820769.jpg当日のポスターです。




Wikipedia:オフラインミーティング/中部/ 2017甲府ウィキペディアエディタソン「甲州事編 百科涼覧」


エディタソン当日は、朝の4時頃に目が自然に覚めました。酒はほぼ抜けていましたが…頭が痛いです。(ただし、エディタソン本番までに頭痛も治まっていました)さすがに寝直すこともできず、前日夜に引き続いてホテルの無料Wi-Fiを使ってブログ入力とメールのチェックなどをして時間をつぶしました。

朝食の時間にロビーまで降りてみると、3人(N氏ご夫妻とT氏)いらっしゃったのでご一緒させていただきました。前日食べ過ぎたので、パン1枚とコーヒー、あとサービスの「ほうとう」(妙な取り合わせになってしまった)だけにしてたら「少食ですね」と言われてしまいました。

エディタソンは午前10時開始、午後6時終了の予定です。開始時間よりも前に会場の山梨県立図書館に向かい、会場設営なども少しお手伝いしました。

山梨県立図書館

今回のエディタソンでは、(多少紆余曲折があったものの)題材は当日まで知らされなかったので(前編にも書きましたが)下調べどころか予備知識も何もない状態で本番を迎えました。(これは地元出身の某有名執筆者様=ウィキペディア日本語版をちょっと知っている方なら誰もが1度は読んだあの記事を書かれたお方です=以下S氏 以外はほぼ同じだったのではないかと思います)


都留文科大学のH准教授(本日の進行役)によるご挨拶、続いて山梨県立図書館副館長によるご挨拶に続いて、タイムテーブルの大まかな説明と撮影などに関する注意事項、そして執筆陣および解説者(この役回りを務めるのは某若手管理者様=有能な執筆者様でもあります)、撮影などのメンバー紹介です。今回のエディタソンに参加する執筆者は、私を含めて7名です。(泣く子も黙る超強力ラインナップの中に紛れ込んだ泣く子も笑うへっぽこ執筆者約1名←自虐モード入りw しかし、この7名でFAとGAを合計でいくつ書いているのか…数字にとことん弱い私にはわかりかねますが、こんな奴でも努力すればGAを書くことができます…余談に過ぎました)

そして、エディタソンのテーマ候補が4つ発表されました。

1.謝恩碑
2.山梨のワイン
3.甲府上水
4.山梨県庁別館(旧本館)

7人による合議の結果、テーマは謝恩碑と山梨県庁別館に決定しました。(選ばれなかったあとの2つもそれぞれ興味深いけど、多分1日では時間が…)

その後執筆希望記事別でチームを組み、「謝恩碑」チーム3名(以下Aチーム。リーダーはS氏、某メジャー級執筆者様=以下A氏、そしてへっぽこ約1名)と「山梨県庁別館(旧本館)」チーム4名(以下Bチーム。リーダーはN氏、メンバーはT氏など3名)の2手に分かれて小雨がぱらつく甲府の街へフィールドワークに出発しました。(撮影・Twitterなど記録担当の方や観覧の方もそれぞれチームに同行して街を回りました)執筆を希望してみたものの「謝恩碑」というのがどんな代物か全く知らなかったのですが、前日眼についたあのモニュメントと気づいて驚きました。

フィールドワークが終わりに近づいたころから、雨脚が強くなりました。おかげで事前に心配していた暑さは全く感じませんでした。図書館に戻って、ガラス張りの交流2つに分かれて執筆者チームはそれぞれ入室し、観覧者は別室へ。Twitter実況者・映像記録者も同席し、リアルタイムで編集風景が確認可能です。(観覧者も執筆ルーム内に入室可能でした)

執筆の経過については、togetterまとめなどですでに記録が出ていますので、臨場感を追体験したい方はぜひそちらを。(英語版を含めてリンクしておきます)当日のハッシュタグは #2017wpkofu(総合)、#2017wpkofua(Aチーム)、#2017wpkofub(Bチーム)、#2017wpkofue(英語version)です。

#2017wpkofu 2017ウィキペディア・エディタソン「甲州事編百科涼覧」


#2017wpkofua 2017ウィキペディア・エディタソン「甲州事編百科涼覧」

#2017wpkofub 2017ウィキペディア・エディタソン「甲州事編百科涼覧」


#2017wpkofue 2017ウィキペディア・エディタソン「甲州事編百科涼覧」(英語version)

当日観覧していた方によると「静のAチーム、動のBチーム」という印象だったようです。(チームリーダーのS氏とN氏のパーソナリティーの違いによるものでしょうか)。Aチームの方はあるお方が「まるでスターシップシャトルのコックピット」と形容するくらいスタティック(S氏が時折発言するくらいで、私とA氏は必要最小限のやり取り以外はそれほど喋らなかった)で、昼食もそこそこにずっと資料(山梨県立図書館司書の皆さまの協力によって、よい資料が揃えられていました)の読み込みと執筆にかかりきりになっていました(私が食べたのは桃3切れ、アイスキャンディー1本、それからペットボトルの生茶一本のみで、それはあとのお2人も同様だったのではないかと思われます)。一方のBチームは(見てたわけではないけど)いろいろな意味でダイナミックだったようです。(N氏ならばさもありなん…すみません;;)あとでN氏ご自身も「私は上杉謙信、Sさんは武田信玄タイプ」と発言なさってました。(蛇足ですがバレエPOVの視点で例えるなら、パリ・オペラ座とボリショイ・バレエ、シルヴィ・ギエムとニーナ・アナニアシヴィリ、エリック・ブルーンとルドルフ・ヌレエフくらい違う…いろいろな意味ですみません;;)いずれもヴィルトゥオーゾ揃いの演奏家=執筆者を揃えていても、片やオーケストラ(もちろんコンダクターはS氏)、片や(指揮者のいない)アンサンブル(主演奏者はパガニーニ張りの名手N氏というところでしょうか)といった印象もあったようです。

ある程度記事が形になってきたところで、項目名について3人で相談することになりました。単に「謝恩碑」では他の地域のもの(大磯町など数か所にある模様)との区別がつきにくいので、地名を付して「謝恩碑 (甲府市)」と決まりました。(神奈川県からお越しになった観覧者のお方が「謝恩碑 (大磯町)」を書こうと仰ってくださったので、平等な曖昧さ回避を作ってそこからも誘導しました)なお、項目名には他に「謝恩塔」という候補もありました。(実はエディタソン終了後に他の方から無出典で書き足されてしまったので、私の自宅に近い図書館で何とか出典を探したのです)途中で山梨日日新聞の方が取材にやってきました。

Aチームの方が一足早く記事を完成させました。(今回もN氏から、沿革の前半部を私が執筆したことがすぐにわかると指摘されました)まだ書き足りない感や、やり残しの作業(特に内部リンク関連)が残るものの、S氏からエディタソン終了後も加筆を、と勧められました。

謝恩碑 (甲府市)

変更履歴 


山梨県庁舎別館 (旧本館) 及び県議会議事堂

変更履歴 


記事の履歴を見ていただけば、(N氏ならずとも)誰がどこを書いたかは容易に判るかと思います。念のため、「謝恩碑」ではS氏がリード文と沿革節の後半(碑の建設について)、A氏が諸元などを書き、私は沿革節の前半(明治天皇が御料地を下賜した経緯)を書きました。(碑の建設に至るまでの背景をある程度は書いておいたほうがよいと判断したためです)謝恩碑の履歴を見ると、ある意味笑える部分があるかもしれません(?)今回の2記事は、立項してからわりとすぐに新着投票所に推薦されていました(仕事が早くてこれにもびっくり)。2記事とも無事に日次の新着にも選ばれ、次は月間新記事賞でどこまで評価されるのか、楽しみなような怖いような。

エディタソン終了後は、宿泊先近くの「小作」で打ち上げです。(お昼ご飯を食い損ねてたので)実に美味しくいただき、さまざまな方とお話もできました。(生来のコミュ障なので、何か失礼なことをしでかしていたら申し訳ございません…)



帰りは最終のスーパーあずさに乗って、その日のうちに帰宅できました。(私自身はお土産を購入する時間が取れなかったものの、桃を1個お土産にいただきました。翌日お昼のデザート代わりに美味しく食べました)

あっという間の2日間でしたが、この経験で学んだことを活かして、執筆者としてさらなるステップアップができれば、と願っています。そして次回、このようなイベントに参加できる機会が与えられたなら、さらに私の能力をお見せできれば、と思っています。

最後になりましたが、イベントの開催に関わったすべての方々、山梨県立図書館のスタッフの皆さま、一緒に執筆作業できた方々、そして観覧していただいた皆様に厚く御礼申し上げます。本当にありがとうございました。いつかまた遠くない日に、どこかでお会いしましょう。

DSC_0298.JPG素晴らしい思い出となった謝恩碑。いずれまた甲府に来たいと思います。

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