第10回 ウィキペディア街道「大山道」現地調査編(2017年3月20日)

ホタテの碑?.JPG謎の石造物。…悪戯だとは思いますが。



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第10回ウィキペディア街道の現地調査当日は、春到来を思わせる上天気でした。集合時間の10時よりやや早く、参加者全員が集まりました。現地調査対象個所などを記入済みのマップと、参考文献などのプリントを1枚ずついただきました。最初に、所謂愛甲宿近辺の現地調査に出発しました。出発地となった愛甲石田駅は、ちょうど厚木市(愛甲地区)と伊勢原市(石田地区)の境界に位置しています。

駅から少し歩くと「宿愛甲」の交差点表示が目に入りました。自治会の名も「宿愛甲」、こういうところにもかつての名残りがあるようです。路傍に石造物(冒頭に乗せた写真です)を見つけましたが…何、これ;;

愛甲宿付近では、円光寺、大厳寺、石田子安神社、浄心寺などを巡りました。起伏の多い地形のため、寺院の境内に入ると高台に登ることができて、気分も見晴らしもよいものです。

寺社巡りの途中で、小ぢんまりとした和菓子屋さんを発見しました。「高月堂」さん(厚木市愛甲東一丁目。愛甲石田駅南口からそう遠くない場所です)というお店です。5人で立ち寄り、たい焼き(1個130円税込み也)などを購入しました。(前日に奥歯を抜いて「歯抜け」になっていた私には食べにくいかと思ったけど)しっとりとした皮と上品な甘さのあんこで、実に美味しくいただきました。帰宅後に検索してみると、近在で評判の高い名店だったことが判明しました(納得。ひょっとしたら某FA執筆者様もご存知かも、という話も出ました)。

高月堂 - 愛甲石田/たい焼き・大判焼き [食べログ]



結びの木.JPG「結びの木」です。

石田子安神社では珍しいもの(そして私が特に興味を惹かれているもの)を2つ見つけました。

1つ目は「結びの木」、桜と公孫樹が一種の「連理状態」になっている木です。桜の根が公孫樹の根元をしっかりと抱きよせるように仲睦まじく生育しているため、神社も玉垣を作ってしめ縄を結び、この木を大切に守ることにしたそうです。(境内説明板より)

子安松.jpg子安松。切株近くにかつての姿を収めた写真がありました。


2つ目は「子安松」、残念ながら切株と「天然記念物」の標柱を残すのみですが、かつては旧伊勢原町の天然記念物でした。新編相模国風土記にも記述がある推定樹齢400年余の古木で、目通り幹周6.8m、樹高は約30mだったそうです。(1963年の伊勢原町勢誌による)1964年に天然記念物となりましたが、ここでも「松くい虫」が…。神奈川県の伐採勧告によって、1965年8月にお祓いを受けた上で伐採を余儀なくされたそうです。(境内説明板より)切株の中は、気の毒なことに空洞になっています…


小金神社.jpg小金神社の社殿です。


道のりは糟屋宿に近づき、私たちは小金神社に立ち寄りました。この神社は、古墳の上に鎮座しています。



古墳近くの馬頭観世音.jpg
古墳近くには馬頭観世音が祀られていましたが、昭和期のものでかなり新しく、摩耗も目立ちません。今回歩いた道のりではあちこちで道祖神や道標、石仏など多くの石造物を見かけました。ただし、その多くが石の材質によるものなのか欠けていたり摩耗が激しかったり…ぞんざいに扱われたのか、引き倒されて乱雑に積み上げられているものや、悪戯されたのかホタテで飾られた妙な石造物(冒頭に載せた「あれ」です)まで。

糟屋宿に入ると、道幅は存外狭いです。交通量はさほど多くなく、商店の軒先に「大山街道」の提灯がぶら下がってたりステッカーが貼られていたりするのが目を惹きました。

あちこちを歩き回って見学しているうちに、いつの間にかお昼の時間を大幅に過ぎていました。5人で入れる店ということで「ジョナサン」でランチを。その向かいにあったインド料理屋さんは美味しそうだったけど、満席で入店不能でした。



アーモンドの花.jpgアーモンドの花。

一息入れて、調査を再開。丸山城址は公園になっています。高台に登る手前の平地には、桜に似てやや大ぶりの淡いピンク色の花を咲かせている十数本の木が目を惹きました。表示によれば「アーモンドの木」だということです。同じバラ科サクラ属だから、よく似ているわけです。今はごく若い木ですが、いずれ成長した折には見事な眺めになることでしょう。

その後もいくつか寺社の調査を続けました。

高部屋神社.jpg高部屋神社。国の登録有形文化財です。

高部屋神社(本殿および拝殿が国の登録有形文化財です。拝殿正面には浦島太郎や竜宮城などの立派な彫刻があって、見どころの1つになっています)に立ち寄ったところ、境内にいた方から「どちらからですか」と質問を受けました。「東京からです」と私が答えたところ、その方は社務所の鍵を開けて神社の「ポイントガイド」を私たちに1枚ずつ配布してくださいました。さらに、親切にも境内の見どころや由来などのお話も聞くことができました。拝殿は茅葺き入母屋造りで、屋根の上にはカラスよけの黄色いワイヤー?が。そのお方によれば、カラスがカヤを抜いてしまうため、対策としてこれを取り付けたところ被害が止まったそうです。屋根用の茅は、(震災に見舞われる前の)熊本から取り寄せたそうです。


調査は終わりに近づき、渋田川の近くに出ました。川に向かう斜面に、「若宮神社」という小さな神社が鎮座していましたが、社号額はひびだらけで判読不能、境内にあったはずの木々はほぼ伐採されていて、残っているのは社殿らしき建物(人の気配は当然なし)といくらかの石造物、そして何かの記念に植えられた木(まだごく若い木でした)くらい。どうしてこのような状態になったのか、よそから来た私には知る由もありません。

渋田川沿いにさらに歩みを進め、南蓮寺と太田道灌の首塚(大慈寺)が行程の最後となりました。太田道灌は首塚の他に、伊勢原市内(上粕屋地区)の洞昌院に胴塚が存在しています。

大慈寺を後にして伊勢原駅に向かったのは、午後5時頃になっていました。伊勢原市立図書館は閉館時刻が早いということで、小田急線で2駅戻って本厚木駅に出ました。駅からほど近い厚木市立中央図書館には、昨年10月の第8回ウィキペディア街道以来の訪問です。

前回の訪問で資料のありかはかなりわかっていましたが、さすがに内容を吟味した上でコピーを取るのは一苦労です。(厚木市立の図書館では、資料名とコピー希望のページを記入した申請書を提出する必要があります)すべてコピーを取り終わったのは、閉館間際の午後7時近くになっていました。

その後は、5人で打ち上げ、そして帰宅です。10㎞ほど歩いたわりには(膝の悪い私でも)それほど疲れを感じませんでした。いよいよ26日には、執筆にかかる予定です。

参考リンク

第10回 ウィキペディア街道「大山道」(2017年3月20日)超簡略版レポート。

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