真福寺のカヤです。
あざみ野でウィキペディア執筆イベント 「荏田宿」と「真福寺」を追加 2016年07月25日(港北経済新聞)←アートフォーラムあざみ野に取材でお越しになっていました。ちなみに、記事内の写真に私は写っておりませんw
集合予定時刻の2時間ほど前に家を出て、集合場所の田園都市線江田駅に向かいました。田園都市線は溝ノ口から先はほとんど乗らないので、用心のためです。(といっても、前々回にあたる第5回ウィキペディア街道も田園都市線宮崎台駅が集合場所でしたが)
乗り継ぎが非常にうまくいったため、40分近く前に到着してしまいました((+_+))で、余った時間で駅前を少し歩きました。…東名高速の高架が妙に威圧的な印象を与える地域です。(後で聞いた話によると、相当強引にルートを選んで工事を実施したとか)
本日は参加者16人+1(未来のウィキペディアン?の男の子が今回も参加してくれたので)半分以上は前回までのイベントで面識があったので、アウェー感皆無でした。(某FA執筆者様-数回お会いしている-が参加なされてたのにかなりびっくり、でもまたお会いできてよかった)
今回対象になる題材は「荏田宿」と「真福寺」です。前回までと違って参加者が題材ごとに分かれて取材を行うのではなく、二手に分かれてコースを巡り、そののちにどちらについて書くか題材を選ぶことになりました。
8人ずつに分かれて、江田駅から先に荏田宿→真福寺を巡ってまた駅に戻るコースと、逆に真福寺に先に行って荏田宿を後にするコースの2つから1つを選びます。みんなでいろいろおしゃべりしながら、コースを巡りました。
真福寺のイチョウ。
真福寺では、蚊の大歓迎を受けました;つД`)…私は虫よけが効いてくれて刺されずに済んだのですが…。この寺院にあるカヤとイチョウは、横浜市の名木古木指定樹木です。(特にカヤは大変に美しい木でした)国の重文指定を受けている仏像は、拝観できる時期が限られているようで観ることができず残念。
荏田宿には往時を偲ばせるものはそれほど残っていません。ただし、今年になって「案内看板」が地元保存会によって設置されています。残っている文化財では、「常夜燈」と「庚申様」について記事に盛り込むことにしました。(今でも庚申様の信仰が残っていて、地域の人々が祠を守り続けているようです)記事には加えることができなかったのですが「現金屋」様という商店は、創業は江戸時代前期の1677(延宝5)年までさかのぼるとのことです。(あ、外部リンクで足すという手もあった)
江田駅前に戻り、昼食です。ただし、全員で入れる店がなかったので、某中華屋さんと某牛丼屋さんに分かれました。私は某中華屋さんへ(後でえらい目に遭いましたがw)。店内に入ってしばらくすると、別チームもやってきました。
冷やし中華を頼みましたが、待てど暮らせど来ません。(他のお二人も同様だった)別チームの方にはすでに来ているのに。再度確認してやっと来ましたが、えらい時間のロスです(苦笑)。
江田駅から電車であざみ野駅へ。まず山内図書館で滞在約1時間の間に文献を探し、アートフォーラムあざみ野で執筆とその成果発表を行います。横浜市は図書館の貸し出し冊数が「上限6冊」だそうで、私の住んでいる都内某区とはえらい違いです(どう考えても少なすぎる)書棚には地域資料が結構所蔵されていました。
資料を借りたりコピーを撮ったりして、アートフォーラムあざみ野へ。まだ新しくて小奇麗な建物です(羨ましいぞ)。いつも通り、17時には会場を完全撤収というタイトなスケジュールです。
参加者は「真福寺」担当と「荏田宿」担当に分かれて執筆を始めました。私は荏田宿を選び、旧跡などの部分を書きました。「まねき看板」について、某FA執筆者様がぜひ記事に盛り込むように勧めてくださり、資料の写しもいただきました。非常に助かりました。ちなみに某FA執筆者様も、私の執筆した部分は履歴など見なくてもすぐにわかる、とおっしゃっていました。
時間が押しながらも、2記事とも立派に完成しました。(写真や図版が豊富なだけでもずいぶん違う)で、17時には解散です。
その後はあざみ野駅前のアジアン小皿酒家 茉莉 (ジャスミン)で懇親会です。早めの時間に行くと、ドリンクもフードもお安いし、値段のわりに味もよろしいです。皆様のいろいろなお話が聞けて、有益な時間でありました。また、次のイベントなどでお会いできる日を待っています。
関連記事
「一人ウィキペディア街道」(?)再びか?
某図書館へ文献探しに出向く。
[[荏田宿]]改稿を終える。
この記事へのトラックバック
この記事へのコメント