[[クレオ・ド・メロード]]記事の加筆と改善について

82px-Cleo_de_Merode00.jpg[[クレオ・ド・メロード]]

咳喘息やら地震やらで、Wikipediaの記事執筆に充てる時間が非常に少なかったので、今月はこの記事の加筆だけでした。

過疎分野で活動するへっぽこ執筆者の私ですが、他の執筆者の方に少しは参考になることもあろうかと思い、加筆と改善の試みを記録にとどめることにします。

詳細については、リンク先から記事の履歴と差分をお手間でも見ていただくことにして、いくつかポイントを述べます。

1. 参考文献を探し、出典を強化する
クレオさんは、記事中で少し触れたとおりダンサーとしてはバレエ史に名前を残すほどの方ではありませんでした。私がバレエ記事を書くときに一番参考文献として使用する頻度が多い『オックスフォード バレエダンス事典』にも記述はなく、日本語でのまとまった文献は鈴木氏と平林氏の著書くらいしか見つかりませんでした。

記事の後半に列記してある文献のうち、この2冊のみ所持していましたので、他の文献を探すことから始めました。…見事なまでに見つかりません。ちなみに、どうやって探したかというと記事中から手掛かりになりそうなキーワードを絞り込み、某区図書館サイトで検索してめぼしい文献を予約する、という方法です。

最初借りた5冊は全滅wでした。で、次にキーワードに選んだのは「ベル・エポック」。こちらは当たりで、3冊見つかりました。(手持ちの2冊以外がそうです)ただし、いずれの本も記述量は非常に少なく、はなはだしいものでは使える記述は1行のみの状態でしたが。(クレオさんの自伝の日本語訳があればよかったんだけど、未訳なのかどこにも見つかりませんね)

2.英語版の記事とそのリンク先から有用な記述を探す
数年前に英語版から翻訳したときに比べていくらか記述量が英語版でも増えていますので、そこから有用な記述や出典を探しました。現時点での日本語版では、出典の6-7番がそれに該当します。

3. 今までの日本語版記事にあった誤りを正す
*2007年の初版では「オペラ座のエトワール」と記述されていましたが、クレオさんがオペラ座に在籍していた時期には「エトワール」という階級は存在しませんでした。(注釈でそのあたりの事情を解説しています)注釈の記述を練り上げているとき、私自身も混乱しそうになりましたがw。
*これは私が悪いのですが、2009年10月に大幅改稿したときに、当時の英語版記述を信じ込んでクレオさんとグスタフ・クリムト氏の出会いを「1926年」と書いてしまいました…。当時クレオさんは「50代」になっていて、いくら絶世の美女でもさすがに無理がありすぎます。しかも、この時期にはクリムト氏はすでに死去しています。で、もう一度出典を確認して「パリ万国博覧会」の時期に修正しました。

ざっとですが、こんなところですね。あとは記事の差分などでご確認いただければ、と思います。

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