イベントに出るのは4回目ですが、「ウィキペディア街道」への参加は初めてです。
前回までは「アウェイ感」が半端なかったですが、今回は前回までの参加で面識のあった方(R氏とかK氏とか)が多かったのでその点で幸いでした。自宅から南武線に乗り換えて溝の口、そして宮崎台駅へ。11人ほどいたので「土橋チーム」(仮称)と「馬絹チーム」(同じく仮称)に分かれていざ出発。私は「馬絹チーム」を選びました。(総員6名)
やっぱり「ライオンの人」と覚えられてんだよな、私。まあ、代表作といってもいい出来だと最近思えてきたけど。
取材対象の寺社は2か所。ただし某神社は「総代の許可が…」などの諸事情で詳しい取材は困難でした。それでもまず某神社へ。
H女史の案内により、神社へ到着。一帯で一番大きな神社で、10月14-15日の例大祭は壮観だそうです。境内には合祀された神社(秋葉、三嶋、八坂)と稲荷神社が存在しています。一つ祠があって、流木みたいな枯れ木みたいなもの?が祀られていました。それが「千年松の祠」と呼ばれるもので、源頼朝公にまつわる伝説を持つ由緒正しいものですが、残念ながら1941年に枯死したためこういう姿を残しているそうです。(馬絹という地名も、頼朝公の伝説に由来するとか)
神社の裏手には古墳(円墳)があり、公園に整備されています。そこに行き着くのにちょっと裏手の山を登りましたが、途中に富士塚?っぽい小高い丘が。(周囲に「クロボク」(富士山の溶岩)もあった)木が生い茂ってたので見晴らしはよろしくありませんが、木と高層建築物を取り除いた眺めを想像するとここに富士塚?を作ったのもわかる気がします。
古墳の周囲は柵で囲われてましたが、(私も含めて)突破しました(マテ)…あの山道を降りるのは難儀だったんで。
2か所目は「泉福寺」。天台宗の寺院で、急ではないけど結構坂を上ります。寺院への途中は春の花が目を楽しませ、鶯の囀りが耳に快いです。
境内で私の目を惹いたのは、巨大なイチョウの木。(まだ葉をすっかり落としたままです)樹齢は700-800年といい、同じく境内にあるサルスベリの古木(こちらも樹齢400年以上)とともに「まちの樹50選」に選ばれています。(樹木記事作家?としては見逃せないぞ)
その他に「花供養碑」などこの寺院ならではの文化財のことを取材し、写真も撮りました。
お昼は某バー○ヤン(伏字の意味なし)で。非常に混んでいて参りました。駅前の八幡神社にお参りしてから、宮前市民館 視聴覚室(今回会場としてお借りした)へ。…半端じゃない急坂でした。
午後はR氏などによるレクチャーのあと、私もお話しする羽目にorz(噛みまくるし滑舌は悪いし、おまけに気管支炎のせいでもともと宜しくない声がさらにおかしくなってる。そして極度のあがり症)R氏いわく「これからもイベントでお話しするときの訓練(超意訳)」だそうです。…内容は、…まあ想像にお任せしますが、その後のR氏による私の紹介が「まさかほめ○し!?」と思うほどの内容でした。(恥ずかしいやらちょっとうれしいやら)
で、チームそれぞれで記事の作成。私のノートは…Wi-Fiの調子が悪くてすぐに弾かれるんで、他の方のをお借りしました。(せっかく買ったのに…ぶちぶち)
事前調査の資料などから分担して内容を執筆し、各自のサンドボックスにまとめた内容を私がチェックして数回サンドボックスに表示して…なぜか私が初版投稿者の責を負うことになりました。(別に他の方でもよかったのに??)
今回出来上がった記事のどの部分を私が書いたか…それは内緒。しばらく私のサンドボックスを残しておきますので、参考にしたい方はどうぞご覧ください。
☆3月29日に加筆しました。
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この記事へのコメント
Asturio Cantabrio
https://ja.wikipedia.org/wiki/プロジェクト:アウトリーチ/ウィキペディアタウン/メソッドの共有
私は京都のウィキペディアタウンによく参加するのですが、主催者に近い方々が上のページで情報の蓄積や情報共有ができたらなあと思ってます。
Swaneeさんやらっこさんが何を話されたかすごーく気になります。
Casse Noisette
「某神社」については特筆性は明らかだし頼朝公の松やら○○古墳やら…魅力的な題材が多かったので当日取材がかなわなかったのはかなり残念でありました。その代わりといっては何ですが、泉福寺をチームの皆様で頑張って取材して文化財の記述やら境内などの写真やら充実したものになったのではないかと思っています。
当日私が話した内容は…思い出すと穴を掘って埋まりたくなりますので…次回人前でお話しするときまでには何とかせねば(とほほ)